広島公演にお越しの皆様へ

広島公演にお越しの皆様へ

本日はミナモザ『Ten Commandments』にご来場いただき、誠にありがとうございます。
広島でこの作品を上演できることがとても嬉しいです。

2015年夏から、こちらのJMSアステールプラザで上演している『ヒロシマの孫たち』に劇作家として参加したことが、この作品をつくるきっかけになりました。『ヒロシマの孫たち』は被爆者の皆さんに孫世代の子どもたちが取材をして、そのインタビューをもとに演劇をつくるというプロジェクトです。東京で生まれ育った私は、それまで中学校の修学旅行でしか広島に来たことがありませんでした。しかし、このプロジェクトであらためて広島に来ることができて、原子爆弾について考える機会をいただきました。

過去を遡るうちに、今も世界に存在する核兵器について、そして同じ技術を用いている原子力発電について考えたいと思いました。特に原子力の分野の研究者の心の有り様を知りたいと思い、大学院生たちの取材をスタートしました。 しかし、ここでひとつお詫びしなければならないのですが、この作品は最終的にチラシの文章にある原子力工学を学ぶ学生たちの物語からはだいぶ離れた場所にたどり着いています。

あくまでも東京で暮らす者の実感ですが、福島第一原子力発電所の事故から7年が経とうとしている今、原発について語られることはどんどん少なくなってきています。また、被爆国でありながら核兵器にNOを言わない日本政府の現状についても議論が十分ではありません。しかし、マスメディアでも、私たちの日々の生活の中でも、原子力について語ることはどこか避けられています。それには核兵器にせよ原子力発電にせよ、国策であり、経済活動と切り離せないという現状があります。しかし、それだけではない困難さがあるのではないかと私は考えています。原子力というものはどこか本質的に「語りえない部分」があるのではないかと思うのです。

なぜ、人は原子力について語ることができないのか。 なぜ、人は原子力の前で沈黙してしまうのか。 そういったことを考えるうちに、原子力の「語れなさ」を演劇にするにはもっと小さい「私」という単位で原子力と対峙する必要があると感じました。ひとりひとりの原子力との物理的、精神的距離は異なります。原子力というものの本質に迫るためには、まずは、誰かの物語ではなく、「私」として向き合わないことには始まらないと思いました。 その結果、この芝居はどこまでも個人的な物語となりました。個人的な物語ゆえ、私自身書いていて作品と同化し過ぎて何度も立ち止まりました。しかし、俳優とスタッフたちがこの作品を客観的に分析して、舞台に立ち上げてくれました。本当に感謝しています。

なぜ、「私」は原子力について語ることができないのか。
なぜ、「私」は原子力の前で沈黙してしまうのか。

ひとりの人間の「思考」をそのまま演劇化できないかという挑戦をした作品です。この芝居には、はっきりとした物語はありません。ご覧いただいたお客様と作品と通して対話できるよう、舞台の向こう側で終わらない作品を目指しました。私たちと一緒に考え、それぞれの何かを抱えて帰っていただけたら、とても嬉しいです。

ミナモザ 瀬戸山美咲

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